私は左手の小指に傷があります。小学校低学年の頃に鎌で稲を刈っていて、ザクーッと切ってしまったんです。
普通だったら親もすぐ病院に連れて行ってくれたと思うんですけど、稲刈りで忙しい時期でした。母が手拭いを破いてそれで巻いてくれて、「手を心臓より高いところに持ち上げろ」と。仕事が全部終わってから病院に連れて行ってもらったら、先生が「ああ、もうくっ付いていますね」と。縫う必要もなくなっていたそうです。
でも農作業が嫌になったわけではありません。子どもの頃の一番の思い出の食べ物というと、田んぼや畑で食べたサバの塩焼きです。
朝、仕事に向かう時に、ご飯と漬物、お茶、それに塩漬けにしたサバを持って行くんです。午前中働いてお昼になりますと、その辺からまきを拾ってきて火を燃やし、サバをじかに置いて焼きます。
さんさんと太陽が照る中で焼くと、太陽の光が加わるために、独特の良い香りがするんです。火を家族で囲み、付いた灰を払いながら食べたサバのおいしかったこと。
なんでも自家製
うちは自給自足のような暮らしをしていました。畑ではサツマイモ、ニンジン、ダイコン、タマネギ、ネギ、ラッカセイ……。なんでも作っていました。ソバも栽培していて、母がつなぎを使わないそばを手打ちしてくれました。
牛も飼っていて、生まれた子牛を市場に売っていました。豚も飼っていましたし、ニワトリと七面鳥も放し飼いで。湿度の高い鹿児島では、家の床を高くします。ニワトリは風通しの良い床下に住んでいました。馬も飼っていて、山で林業もやっていたので、その木材を馬が運んだんです。
土間にまきで炊くかまどが三つあって、それでお米も炊いていました。私はご飯炊きがうまく、父から「悦子の炊く米が一番おいしい」とよく褒められました。
粗食でしたが、父だけは1品多く、例えばお刺し身が付いているわけです。父は刺し身を1切れずつ取り、子どもたちの口の中に入れてくれました。ツバメの親子のようですよね。今でもお刺し身を見ると、アーンと口を開けて入れてもらったことを思い出します。
楽しさを再発見
18歳で実家を出てからは農作業とは縁のない生活を送ってきましたが、最近、再び農業の喜びを知ることができました。
私はずっと前から、お芝居と歌の2本立てのショーをやりたいと思っていました。長い付き合いの女性演歌歌手と一緒に一座を作れれば、と。若山かずささんと北野まち子さんが賛同してくれ、どうしようかと考えました。
参考になればと思い、黒木美佳さんの「私、農業始めます!」という芝居を見に行ったんです。劇を見て、なるほど農業か、と思ったんです。演歌とも相性がいいと感じますし。「農業と演歌は日本の宝」。そんな題材が頭に浮かびました。
今の農業を知ろうと、群馬県の畑をお借りして農作業をやってみました。すきが軽くなったことに驚きました。耕運機も小型化されて操作も楽なんですね。これなら女性でもできるし、これからは女性ならではのアイデアも必要になると感じました。そんな思いを持った私たち3人の芝居と歌が、農業と一般の方々をつなぐきっかけになればと願っています。(聞き手・写真=菊地武顕)
しまづ・えつこ 1961年12月鹿児島県生まれ。88年にデビューし、91年「紙の舟」、93年「雪の舟」、95年「酔芙蓉」で日本有線大賞、有線音楽賞。アルバム「島津悦子全曲集2020」、シングル「瀬戸内ぐらし」発売中。4月7日、東京・江東区文化センターで「艶歌華舞台~農業と演歌は日本の宝」公演。
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February 15, 2020 at 03:00PM
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島津悦子さん(歌手) 農の魅力 芝居で伝えたい - 日本農業新聞
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