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Friday, August 20, 2021

笑福亭仁鶴さん死去 文枝さんやきよしさんらが悼む - 朝日新聞デジタル

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【動画】幅広い世代に親しまれた笑福亭仁鶴さんの人生を振り返る=朝日新聞、朝日放送テレビ共同制作

 「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のフレーズで親しまれた落語家でタレントの笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名岡本武士〈おかもと・たけし〉)さんが17日、骨髄異形成症候群で死去した。84歳だった。葬儀は近親者らで営んだ。

 NHKのテレビ番組「バラエティー生活笑百科」の司会を、1980年代から30年以上務めた上方落語界の重鎮。2005年には、所属する吉本興業の特別顧問に就任するなど、吉本芸人の中心的存在を担っていた。

70年代 不動の人気

 大阪市生まれ。ラジオの素人参加番組で披露した落語の腕前が評判となり、62年に25歳で六代目笑福亭松鶴(しょかく)に弟子入りした。ラジオの深夜番組で学生らの人気に火がつき、リスナーから届くはがきを読み上げる猛烈なスピードも話題となった。「どんなんかな~」などのギャグが流行し、69年に始まった「ヤングおー!おー!」をはじめとするテレビ番組で幅広い世代に親しまれた。歌のレコードも出し、映画やCMにも登場。70年代には不動の人気を誇るようになった。

 高座でも笑いを誘い、桂枝雀とともに上方を代表する爆笑派として活躍した。戦前の爆笑王だった初代桂春団治のレコードに影響を受け、濁りながらも温かみとおかしみを宿した声と、テンポの良い大阪弁で庶民を描く「初天神」「つぼ算」「不動坊」「青菜」「延陽伯(えんようはく)」「向(むこ)う付け」などの滑稽噺(ばなし)を得意とした。

 ここ数年はテレビ番組の収録などに姿を見せなくなり、自宅で過ごしていた。最後に公の場に出たのは、18年10月に京都市で開かれた京都国際映画祭のオープニングセレモニーだった。

 74年に上方お笑い大賞、02年に日本放送協会放送文化賞を受賞。弟子に上方落語協会長の笑福亭仁智(じんち)さんらがいる。

笑福亭仁智さん「上方落語の存在知らしめた」

 筆頭弟子の笑福亭仁智(じんち)・上方落語協会長の話 亡くなる2日前に、2時間色々なお話をしたばかりなので、びっくりしました。上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニアであり、功労者。弟子として少しでもその芸を継承し、功績を顕彰していきたい。まだまだ、相談したいことがあったので、悔しいです。今はゆっくり休んでいただきたいです。

■六代桂文枝さん「思い出尽き…

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